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東京高等裁判所 昭和28年(ネ)304号 判決 1953年9月29日

控訴人 原告 石川善通

訴訟代理人 秋山賢蔵 外一名

被控訴人 被告 株式会社チエリー商会

訴訟代理人 滝川三郎

主文

原判決を取り消す。

被控訴人は控訴人に対し金十三万五千円並びにこれに対する昭和二十六年五月三十日から支払ずみまで年六分の割合の金員を支払え。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

本判決は控訴人において金四万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

控訴代理人は、主文第一ないし第三項同旨の判決並びに担保を条件とする仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述は、控訴代理人において、「原判決事実摘示中請求の原因として、『昭和二十七年五月二十九日被告の営業所たる肩書地において』(原判決一枚目末行から二枚目初行)と主張したとあるが、これを『昭和二十六年五月二十八日支払場所において』と訂正する。」と述べ、被控訴代理人において、「控訴人の主張の訂正に異議はない。控訴人の主張するように本件手形が呈示され、その支払が拒絶されたことを認める。」と述べた外、原判決事実摘示記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

証拠として、控訴代理人は、甲第一号証を提出し、当審証人高瀬哲夫の証言、原審及び当審における控訴人(原告)本人尋問の結果を援用し、乙各号証の成立は不知と述べ、被控訴代理人は、乙第一、第二号証を提出し、原審証人在間朋次郎、磯野豊男、原審及び当審証人逆井敏雄の各証言、原審における被告(被控訴人)会社代表者寺沢康治尋問の結果を援用し、甲第一号証の成立を認めた。

理由

被控訴人が昭和二十六年三月十五日訴外日東工業株式会社にあて金額十三万五千円、満期昭和二十六年五月二十五日、振出地支払地ともに東京都千代田区、支払場所埼玉銀行東京支店と定めた約束手形一通を振り出したことは当事者間に争なく、成立に争ない甲第一号証によれば、右手形には受取人日東工業株式会社の白地裏書がなされている事実が明らかであつて、同号証の提出者たる控訴人は、反証のない限り右手形の正当なる所持人と認むべきである。しかるに被控訴人は右所持を争い、控訴人は単に日東工業株式会社から右手形の割引斡旋方を依頼せられてこれが交付を受けたに止まり、右手形上の権利を取得したものでないと主張しているけれども、右主張にそう原審並びに当審証人逆井敏雄の証言並びに同人の作成にかかる乙第一号証(証明書)の記載内容は、後記証拠にてらしにわかに信用しがたく、これをおいて他に被控訴人の右主張事実を認めるに足る確証なきに反し、前記甲第一号証、当審及び原審証人逆井敏雄の証言の一部、当審証人高瀬哲夫の証言、原審及び当審における控訴人(原告)本人尋問の結果を綜合すれば、日東工業株式会社は、控訴人に対し昭和二十六年三月中旬「スター・クラウン・ライター」部分品四万個の製作方を材料控訴人持ちで註文し、その代金を約二十三万円と定めたところ、控訴人から材料代金として総代金の約三分の二に相当する前渡金の支払の請求があつたので、現金の交付に代え、昭和二十六年三月十五日から二十日頃までの間に本件手形に白地裏書をなしてこれを控訴人に交付譲渡した事実が認められるから、被控訴人の右主張は理由がない。

しかして控訴人が昭和二十六年五月二十八日(右は満期の日につぐ二取引日内であることは暦の上で明らかである。)本件手形を支払場所に呈示したところ支払を拒絶されたことは、当事者間に争のないところである。

よつて進んで被控訴人の抗弁について審按する。前掲甲第一号証及び原審証人磯野豊男の証言、同証言により真正に成立したと認められる乙第一号証、原審並びに当審証人逆井敏雄の証言を綜合すれば、被控訴人は昭和二十六年三月十五日日東工業株式会社に対しオートマテイク・ポケツト・ライター四百打の製作を、単価九十四円、納入期日昭和二十五年五月二十日、代金はその八十パーセントを約束手形で支払い、二十パーセントを現金で納品のとき支払うことと定めて請け負わしめたこと、被控訴人は右契約成立の日である昭和二十六年三月十五日に右契約に基く代金支払のため、前渡金の趣旨を含めて日東工業株式会社にあて、本件約束手形及び金額二十二万円余の約束手形一通計二通を振り出し交付したこと、日東工業株式会社は昭和二十六年三月十五日から同月二十日頃までの間に本件約束手形が被控訴人から前渡金として受け取つたものであることを告げて控訴人に白地裏書によつて譲渡したこと、被控訴人と日東工業株式会社との間の右請負契約は昭和二十六年四月十五日合意解除となつたことをそれぞれ認めることができる。それ故被控訴人は日東工業株式会社に対してはもとより基本契約が合意解除されたという理由で本件手形の支払を拒み得るものであることはいうまでもないが、被控訴人が日東工業株式会社に対する基本契約の合意解除に基く人的抗弁を控訴人に対抗することができるか否かについては更に検討を要するものがある。第一に、本件約束手形は前渡金の趣旨で被控訴人から日東工業株式会社に振出交付されたことである。そしてこのような場合の前渡金が、単に物品の製作引渡前における代金の一部又は全部の前払たるに止まらず、授者が受者をしてこれを利用せしめ、材料の調達並びに物品の製作を容易ならしめる目的を以て授受されることは当裁判所に顕著なところであつて、本件においても、反証なき限りかかる目的を以つて授受されたものと認むべく、被控訴人が代金の八十パーセントを二分して、これを二通の約束手形として日東工業株式会社に交付したことから見ても、被控訴人は右会社が被控訴人振出の約束手形を他に割り引いて金融を得ることを当然予想したであろうことはこれを推定するに難からぬところである。従つて控訴人が本件手形が前渡金の支払のため振り出されたものなることを知つて同会社から裏書譲渡を受けたとしても、単にそれだけでは、被控訴人は本件手形の支払を拒みえないであろう。第二に、日東工業株式会社が本件手形を控訴人に裏書譲渡したのは、昭和二十六年三月十五日から同月二十日頃までの間であつて、前記認定の請負契約が合意解除された同年四月十五日から約一ケ月前であることである。控訴人が本件手形の裏書譲渡を受けた時において、控訴人が前記認定の請負契約が解除されるであろうことを知つていたのであるならば、控訴人は本件手形の悪意の取得者と見ることができるであろうが、当審証人逆井敏雄の証言によるも、日東工業株式会社の代表取締役である逆井敏雄は控訴人に対し本件手形が被控訴人から前渡金として受け取つたものであることを告げたことが認められるだけであつて、本件一切の証拠によつても控訴人が本件手形を取得したとき、後に本件手形振出の原因たる請負契約が解除されることがあるであろうことを予想していたと認められるような事情は何一つ見出すことができないのである。もちろん、この場合控訴人は請負契約に基く製作品がまだ日東工業株式会社から被控訴人に引き渡されてなかつたことを知つていたことはいうまでもない。しかしこの様な場合に請負代金支払のために振り出された約束手形を取得したものが、請負契約に基いて振り出されたことを知つていたというだけで、請負契約に基いて起り得る一切のこと、すなわち契約の不履行、あるいは解除などの将来発生するか否か予測し得ないことまで対抗されるということになつては、正常な手形取引の安全を害することになつてしまうであろう。であるから手形法第十七条但書の「債務者を害することを知りて手形を取得したる」者とは、抗弁事由発生の可能性あることを知つて手形を取得したというだけでは足らず、進んで具体的な抗弁事由が存在すること、これを本件についていえば、請負契約が合意解除されるであろうことを知つていたことを要するものと言わなければならぬ。しかして前段認定のように控訴人がこのような事情を知つていたと認められないことはもちろん、本件一切の証拠によるも、控訴人が本件手形を取得した当時右請負契約が合意解除せられるかも知れない事情が存在していたことすらも認められないのであるから、控訴人が本件手形の悪意の取得者といい得ないことが明らかである。もつとも、原審証人磯野豊男、同在間朋次郎の各証言を綜合すれば、本件手形振出後在間朋次郎が控訴人から本件手形の割引を求められた際、同人は被控訴会社に本件手形につき電話で問い合せたところ、被控訴会社取締役磯野豊男から本件手形は品代金ないしは前渡金として振り出したものであるが、品物が完全に納入せられなければ支払うことのできぬものであることを聞き、本件手形の割引を拒絶したことを認められるけれども、右は控訴人が本件手形を取得した後のことであるから、右事実は前段認定には影響を及ぼすことのできぬものである。

以上、第一、第二の認定事実を綜合すれば、被控訴人は控訴人が本件手形を取得した後に生じた被控訴人と日東工業株式会社との間の前段認定の請負契約の合意解除に基く右会社に対する人的抗弁をもつて控訴人に対抗し得ないものというべく、被控訴人の右抗弁は排斥を免れないものである。

しからば、被控訴人に対し、本件手形金十三万五千円及びこれに対する本件手形の呈示の日の後であることが明らかな昭和二十六年五月三十日から支払ずみまで商法所定の年六分の遅延損害金の支払を求める控訴人の本訴請求は正当としてこれを認容すべきものである。よつて控訴人の本訴請求を棄却した原判決を取消し、控訴人の本訴請求を認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十六条を、仮執行の宣言につき同法第百九十六条第一項を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 大江保直 判事 岡咲恕一 判事 猪俣幸一)

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